カムスビナワの着想
― なぜ、身体を麻縄で結うのか
子どもの頃、私は自分のことを「忍者」だと思っていた。
忍者になりたい、というよりも、
どこか本気で「自分は忍者なのだ」と思っていて、
自分なりの修行なんかも子供ながらも本気で勤めていた。
今思えば、あの頃からずっと、
「人間の身体や意識には、まだ知られていない力があるのではないか」
ということを探していたのかもしれない。
大人になってからも、その探究は続いた。
古本屋に行っては、忍術、修験道、神秘術などについて書かれた古い本を集め、
昔の人が身体や意識をどのように扱っていたのかを調べていた。
そんな中で、ある古書に書かれた一節が妙に心に引っかかった。
敵から逃げる際、
崖から海へ飛び込み身を潜めるときに、
足首を縄で縛る。
「……なぜ?」
普通に考えれば、逃げるために海へ飛び込むのに、
わざわざ身体を縛るなんて不思議な話だ。
けれど私は、そこに何か身体の仕組みを利用した知恵があるのではないかと思った。
身体を圧迫したり、血流を制限したりすることで、
身体には通常とは違う生理的な反応が起こることが知られている。
実際、血流を制限した状態で身体を動かす研究では、
成長ホルモンやノルアドレナリン、乳酸などの変化が確認されている。
昔の術には、
現代の言葉では説明されていなかったとしても、
身体が持つ反応を経験的に利用していたものがあるのかもしれない。
そんなふうに考えるようになった。
山で感じた「縄」の不思議
私は昔から、山に入ると岩に惹かれる。
大きな岩。
奇妙な形をした岩。
長い年月をかけて風雨にさらされてきた岩。
その形や模様を見ていると、
言葉では説明できないような魅力を感じる。
あるとき山の中で、
しめ縄を施された岩と、しめ縄のない岩を見比べていた。
すると私は、
しめ縄をされた岩のほうに、
何かが集まり、立ち上がり、外へ放たれているような感覚を受けた。
もちろん、それは科学的に測定したものではない。
私自身が、その場で身体を通して感じ取ったものだ。
でも、その感覚がとても強く残った。
「縄を結うことで、何かが変わる。」
それは岩そのものが変わったというより、
縄によって、その存在が際立つ。
そこにあるものが、より強く感じられる。
そんな感覚だった。
そして、それはなぜか、
人の身体にも起こることのように思えた。
「しめ縄」と「緊縛」がつながった
その後、催眠を学んでいる中で、
「緊縛」というものを耳にする機会があった。
そこで私は、山で感じた「しめ縄」と、
人の身体を縄で結うことが、
頭の中でひとつにつながった。
岩に縄を結う。
身体に縄を結う。
どちらも、ただ「縛る」ということではない。
縄によって身体の感覚が変わる。
普段は意識していない身体の境界が、
急にはっきりする。
動きを制限することで、
逆に自分の身体を強く感じる。
外へ向かっていた意識が、
自分の内側へ戻ってくる。
そして私は、
「身体を結うことによって、人の中にある生のエネルギーを呼び起こすことはできないだろうか」
と考えるようになった。
それが、
カムスビナワの着想だった。
「縛る」のではなく、「結ぶ」
私がやりたいのは、
苦痛を与えることでも、
自由を奪うことでもない。
むしろ反対だ。
普段、私たちの意識は外へ外へと向かっている。
仕事。
人間関係。
情報。
考えごと。
「こうしなければ」
「こうあるべき」
という思考。
そうしているうちに、
自分の身体が何を感じているのか、
何を求めているのかが、
わからなくなることがある。
そこで一度、
身体を麻縄で結う。
動きを少し制限する。
すると、
「動けない」という状態をきっかけに、
普段なら無視している身体感覚に意識が向いていく。
呼吸。
皮膚。
重さ。
温度。
鼓動。
身体の内側にある感覚。
そして、頭で考えていた「自分」から、
身体で感じている「自分」へと、
意識の焦点が移っていく。
私にとってカムスビナワは、
身体を縛るためのものではない。
身体と意識を、もう一度「結ぶ」ためのもの。
だから、
「緊縛」ではなく、
カムスビナワ。
そう名づけた。
生きる力は、どこにあるのだろう
忍者の古い術を調べていた子どもの頃。
古本屋で、昔の人の身体の扱い方を探していた頃。
山の岩に惹かれ、
しめ縄をされた岩に不思議な力を感じた頃。
催眠を学び、
意識が変化する仕組みを探究していた頃。
一見すると、別々だったものが、
あるところで一本につながった。
それは、
人間の身体には、
意識だけでは触れられない領域がある。
ということだった。
頭で「変わろう」と思っても、
なかなか変われないことがある。
けれど身体に触れる。
呼吸を変える。
姿勢を変える。
感覚を変える。
すると、
意識のあり方まで変わっていくことがある。
血流制限など身体への刺激が生理反応を変化させることは、現在の研究でも確認されている。
私はそこに、
昔の人たちが「術」と呼んできたものと、
現代の身体科学が少しずつ言葉を与え始めている領域との、
重なりを感じている。
もちろん、
まだ私自身にもわからないことはたくさんある。
だからこそ、探究している。
カムスビナワは、まだ途中にある
カムスビナワは、
完成された理論から生まれたものではない。
子どもの頃の「忍者」という感覚。
古い術への興味。
身体への疑問。
山で感じた岩の存在感。
しめ縄。
催眠。
そして、
「人間の中にある生きる力とは何なのか」
という問い。
それらが長い時間をかけて、
ひとつにつながって生まれたものだ。
だから私は、
カムスビナワを「こういう効果があります」と
簡単に説明してしまいたくない。
実際に身体に縄を結い、
呼吸を感じ、
自分の内側に意識を向けたとき、
その人自身に何が起こるのか。
それを一緒に探究していきたい。
身体を結う。
意識が内側へ向かう。
そして、
自分の中に眠っていたものが、
もう一度動き出す。
それが私にとっての、
カムスビナワ。
「縛る」のではなく、
自分自身と、もう一度結び直すための縄。

